April 14, 2026
白く霞む古典的世界に潜む革新性
フランス19世紀を代表する壁画家であり、目に見えないものを顕在化する象徴主義の先駆けとされる巨匠ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ(1824~98)。その全貌を日本で初めて紹介する興味深い展覧会が開催中だ。日本初公開作品を多く含む。東京のBunkamuraザ・ミュージアムと島根の島根県立美術館の2会場を巡回。(【注】両展の出品作は一部異なる)
■淡い色彩/単純な形態/新しい何か
展覧会では年代順に作品を紹介している。東京会場のBunkamuraザ・ミュージアムに入り、まず足早に一巡してみた。古代ギリシアの衣装をまとった人々が丘や森に囲まれた平地や水辺に集う、平和で静謐な情景が多い。年を経るごとに画面が明るくなり、形態が単純化され、画面が平坦になっていくようだ。全体を通して最も印象的なのは、白い霧がかかったような薄緑、水色、ピンク、グレーなどの色づかいの美しさ。油彩に特有の艶が消されている。格調高い絵の内容と淡い色彩があいまって、晴朗な気分になる。そして、新しさの気配がある。
■ピュヴィス・ド・シャヴァンヌとは
日本でシャヴァンヌと呼ばれることが多いが、姓は「ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ」。西洋では通常「ピュヴィス」や「ピュヴィ」と呼ばれる。
ピュヴィスは1824年にフランス第2の都市リヨンの裕福な一家に生まれた。30代から生涯の友となる象徴主義の画家ギュスターヴ・モロー(1826~98)と同世代だ。シャヴァンヌは理工科学校に行く予定だったが病になり2年療養。回復後のイタリアを旅行で、ピエロ・デッラ・フランチェスカ(1415/20~92)らによるルネサンスのフレスコ壁画に深く感銘を受け、画家を目指すことになる。短期間ながらパリでアンリ・シェフェール、ロマン主義の画家ウジェーヌ・ドラクロワに、次いでのちにエドゥアール・マネの最初の師となるアカデミスムの画家トマ・クチュールに絵を学ぶ。個人的には、ロマン主義とギリシア的な格調の高さを融合した夭折の画家テオドール・シャセリオー(1819~56)の影響を強く受けた。1848年完成のシャセリオーによる会計監査院の壁画装飾に衝撃を受けたという。また彼は自作に、イタリア旅行で心酔したイタリアのフレスコ壁画の古典的構成や色彩をとり入れていく。
1850年、26 歳でサロン(官展)に初入選。1861年に≪コンコルデイア(平和)≫が国家買い上げとなる。30歳の頃、兄の邸宅の壁画装飾を行ったことがきっかけで壁画家としての才能が評価されるようになり、1860年代半ば頃からアミアン・ピカルディ美術館をはじめ、リヨン美術館、パンテオン、ソルボンヌ大学、パリ市庁舎など、フランスの主要な公共建築の壁画装飾を手がけた。同時に≪貧しき漁夫≫(1881、パリ、オルセー美術館所蔵)など優れたイーゼル画を多数描いた。1890年、フランス・アカデミーから分離した国民美術協会設立に関わり、翌年会長に就任。1895年には「シャヴァンヌ70歳を祝う大祝宴」がオーギュスト・ロダン(1840~1917)主宰により開かれ、600人が集った。1998年、74歳で没した。
このように生前十分に名声を持った画家であったシャヴァンヌだが、その作品はアカデミスム側からは批判を蒙り、当時活気を放ったギュスターヴ・クールベ(1819~77)らのレアリスム絵画とも、また印象派ともまったく異なった。
彼の作品は、ポスト印象派やジョルジュ・スーラ(1859~91)、ナビ派の画家たち、またアンリ・マティス(1869~1954)、パブロ・ピカソ(1881~1973)ら、新しい絵画を模索し切り拓いた後進の画家たちに多大な影響を与えたことが知られる。
■アルカディアを軸にした回顧展
本展はシャヴァンヌ研究の世界的権威エメ・ブラウン・プライス氏の監修によるもので、企画の始まりは15年前。彼女が「いまや娘同様です」と話す島根県立美術館学芸員の蔦谷典子氏と、長期間準備したという。
展覧会の趣旨は、第一に1848年の24歳時から50年にわたる創作活動を行ったシャヴァンヌの画業を回顧できる展示にする、第二に多くの絵のテーマとなる「アルカディア」を軸に展開する、というものだ。加えて、彼と日本洋画界との深い関係も紹介する。
シャヴァンヌは壁画でその才能を発揮した画家だ。壁画は設置すると移動できないため、彼は同じ内容の「縮小画」を展覧会用に再制作し、サロンや万博に出品した。壁画の図像を多くの人に観てもらうための良い方法だった。ただし縮小画といっても「壁画の縮小画」だから驚くほど巨大なサイズのものも多い。今回の展覧会は、海外に広く分散する代表的な「壁画の縮小画」を中心に、独特な魅力のイーゼル画、油彩習作や素描なども日本に集結させ、制作のプロセスを追いながら、画業の全貌に迫る豊かな内容となった。
なおアルカディアとは、元はギリシアの一地方名だが、古代ローマの詩人ヴェルギリウスが田園詩『牧歌』『農耕詩』の舞台をこの場所に設定して以来、自然と人間の調和する古代の理想郷を意味するようになった。シャヴァンヌは、アルカディアを継続して描くなかで、独創的な世界を創出していく。
■展覧会構成/作品の魅力
本展の構成は、明快に区分された次の四章から成る。
Ⅰ最初の壁画装飾と初期作品 1850年代
Ⅱ公共建築の壁画装飾へ、アミアン・ピカルデイ美術館 1860年代
Ⅲアルカディアの創造 リヨン美術館の壁画装飾へ 1870-80年代
Ⅳアルカディアの広がり パリ市庁舎の装飾と日本への影響 1890年代
作品のごく一部を紹介しよう。
≪労働≫と≪休息≫壁画の縮小画 これは、シャヴァンヌが初めての公共建築として描いたアミアン・ピカルディ美術館壁画(1863)の対作品を再制作したもの(1867頃、ナショナル・ギャラリー、ワシントンD.C.)。≪労働≫は森の一角で木を切る男たちと片隅で赤ん坊の世話する母を、≪休息≫は山々に囲まれた水辺で語り部の老人の話に熱心に聞き入る若い男女たちを穏やかに描く。≪休息≫は、日本の洋画界を率いた黒田清輝が自作≪昔語り≫を描く際に参照したとされ、第Ⅳ章に展示されている黒田作品との比較も面白い。
≪諸芸術とミューズたちの集う聖なる森≫壁画の縮小画 彼の最高傑作の一つが生まれ故郷リヨンの美術館の階段壁画(1884)だ。シャヴァンヌは設置場所の「美術館」を意識して、ミューズ(女神、美術館の意)の画題を選んだ。壁画を描く際、常に設置する場所や建築に合わせる工夫を行ったという。壁画を再制作した本作(1884~89頃)(シカゴ美術館所蔵)は9×231cmものサイズ。緑なす森に囲まれ、夕陽を浴びて金色に反射する水辺に、「諸芸術」を意味する建築・彫刻・絵画の3人の擬人像と、9人の女神が集う。構成も淡い色彩も絶妙なバランスで、平穏な静けさが安堵感をもたらす。動きのない人物群像はスーラの作品につながるようだ。
≪幻想≫ 大原美術館所蔵の本作(1866)も印象的だ。青と白の色彩が際立つ。森でペガサスを捕えようとするニンフが描かれる。パリの個人宅のサロンの装飾のために4点描かれた大きな寓意画の一つ。1922年(大正11)に大原孫三郎が購入し、1930年の同館開館時に公開され、早い時期から日本で観ることができた作品だ。
≪海辺の乙女たち≫ 本作(1879頃、パリ、オルセー美術館)は一度観ると忘れられない強さをもつ。奥に立ち、背を向け長い髪をかきあげる女性像を中心に、背中を向け合う美しい3人の女性像が描かれる。自分のことに集中しているのだろうか、互いに無関心でそれぞれの孤立感が伝わる。
≪貧しき漁夫≫ これは島根会場のみの展示である。国立西洋美術館所蔵の縦長の本作(1887~92)は、オルセー美術館所蔵の横長の同名作品(1881)のヴァリアント(異作)。東京に住む私には親しみ深い作品だ。小舟に佇み頭を垂れる漁夫。後ろに赤ん坊が眠る。背景には大きく湾曲する海岸線。太い丸刀で彫った木版画のような単純化された造形と平面性と、淡いグレーやピンクの色彩が印象的だ。静謐で簡素な世界から内省の感情が強く伝わる。
なお、ピカソはシャヴァンヌに魅了され、その壁画を熱心に模写し研究した。本作≪貧しき漁夫≫と、ピカソの青の時代の作品≪海辺の母子像≫(1902、ポーラ美術館所蔵)の両作品が、3月9日まで国立西洋美術館で開催中の「モネ、風景をみる眼」展にて、並べて展示されており、強い影響関係がみてとれる。
■シャヴァンヌ作品の多面性
シャヴァンヌは独自の創造を行い、多面的な魅力を放つ作品群を世に残した。絵画から、あるべき物語を除いたとされる。また、群像を描いた作品が多いが、登場人物の間に緊密な交流があるもの、関係性を抑えているもの、また互いの関係性を見事に排除した作品もみられる。内省的で強い感情を伝える絵画もある。描き方に関しても大胆な手法を実践した。
本展監修者のプライス氏は「シャヴァンヌの作品は容易に分類できない」、「彼は、同時に全く別の傾向の絵を描ける、稀有な画家です」と話された。知れば知るほど興味の尽きない画家である。
古典的な理想郷アルカディアの神話世界を描きながら、近代絵画の扉を開く鍵をたくさん生み出した画家ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ。この貴重な展覧会を多くの方々にご覧いただきたく思う。
執筆:HOSOKAWA Fonte Izumi
(2014年2月)
【展覧会英文タイトル】ARCADIA BY THE SHORE
―THE MYTHIC WORLD OF PUVIS DE CHAVANNES―
【会期・会場】
東京:2014年1月2日~3月9日 Bunkamuraザ・ミュージアム
電話:03-5777-8600(ハローダイヤル)
島根:2014年3月20日~6月16日 島根県立美術館
電話:0852-55-4700
詳細:http://www1.pref.shimane.lg.jp