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横浜美術館 大・開港展ー徳川将軍家と幕末明治の美術ーを見て!

横浜美術館
企画展『大・開港展-徳川将軍家と幕末明治の美術―』を観て来た。
横浜開港150周年記念と横浜美術館20周年記念での抱き合わせ企画として、最初譜に落ちないところがあったが、観て見て納得できた面がある。鎖国時代の「日本」という国が、ヨーロッパ世界の大航海時代を経て、経済侵略潮流の中で開港を余儀なくされ、新しい世界との交流が始まり、大きく幕藩政治社会体制が崩れはじめた。その突破口になった商業都市「横浜」。本展は、その横浜の地域性・文化性・独自性、そしてこの時期から世界を目指した発展性が色濃く息づいていた様相が感じられた展覧会であったように思う。
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“江戸から東京へ”社会的・国家的変遷に際し:開国・開港にともなう政変の大きなうねりを背景に、わが国の文化・芸術が、江戸時代から何を受け継ぎ、明治という近代国家体制のなかで新たに何を生み出していったのかを、当時の貴重な絵画や工芸品、写真、史料の数々から解き明かし、まさに生き物のような「美術」の多様性と、創作者の自由な柔軟性をあらためて実感させられた。
徳川幕府崩壊、明治維新という日本歴史上まれに見る政治的・社会的出来事によって、長年培われてきた封建制システムと価値観・生活様式が一気に取り変わり、西洋文明の模倣による文明開化・近代国家的様相を呈したように見受けられるが、けしてそうではなく、急速に近代化を推進した明治政府は有形無形に徳川幕府の遺産を引き継ぎ、近代日本の文化を豊かなものにしたといえる。
辻惟雄氏の指摘のように、『幕末から明治初年にかけての頃、画家たちは、いまや眼前にありありとその姿を現した西洋絵画の、迫真的な再現技法に対し、一様に旺盛な好奇心を持ち、学習意欲を燃やしたのだが、一方で、彼らの内に在る「前近代」の視覚を改めて呼び覚ます結果につながり、「西洋」の押し付けがましい乱入に、意識的に無意識的に抵抗し、反発する。自国の美術の伝統への愛着、誇りと、そこに欠けていたモノへの痛切な自覚―こうしたアンビヴァレンツな目と心の葛藤が、画家たちの個性と絡み合って、きわめて多彩で興味深い様相が、そこに現出する。』とあらゆる階層の日本人は、時代の転換を自覚しつつ、東西の文化を融合させ、さまざまな葛藤を超えて、本当に学ぶべきものは西洋のみではなく、「日本」でもあると悟ったのであろう。そんな激動の時代のうねりの中で、「国際都市:創造都市」としての〈横浜・ヨコハマ〉の果たした役割がクローズアップされている。
当時の欧米では、ジャポニスム(日本趣味)が熱狂的ブームとなって、日本の美術工芸品への需要が急激に高まっていった。そんな中、横浜に、全国から職人たちが集まり、多くの工房が開設され、高浮彫りの彫刻的装飾の施された「真葛焼」は「マクズウェア」として海外で人気を博し、他所から素地を仕入れて絵付けをする「横浜焼き」の工房も多く開設された。そのほか、漆器、芝山漆器、横浜家具の輸出用芝山細工の最盛期には、指物師、塗師、下地師、蒔絵師、芝山師の工房も60軒ぐらいあったといわれている。そのほかにも七宝、銀細工もあり、開港間もない横浜は、美術と商業、貿易とが結びついた国際都市として活況を呈していたのであろう。特に、第3章の明治時代の輸出品の絵画・工芸品には圧倒される。
高橋由一らの初期の洋画、橋本雅邦、下村観山、小林古径ら、原三渓が庇護した作家の作品を一同に会し、伝統の継承と西洋文化の受容、新しい美術表現の誕生、新たなパトロンの出現など、近代日本草創期の芸術文化の特質が浮彫りになっている。宮川香山(高浮彫り)、香川勝廣(菊花図花瓶)、並河靖之(有線七宝:桜蝶図平皿)等々、必見ですぞ!!!!
by ヘドデル・キドリンスキー


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