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特別展 《裸婦図》重要文化財指定記念 
村上華岳 
― 京都画壇の画家たち

内省的な日本画家・華岳の傑作《裸婦図》への道のり。
師である栖鳳の《班猫》や京都画壇の珍しい作品も。

  「其美しい目的物、そう云ふものも描き度いし、求めてる意志と云ふものも描き度いと思ってゐる」(村上華岳、「感想」『制作』臨時号・国画創作協会号、1919年11月)。
  大正期から昭和にかけて、深い精神性をたたえた絵画世界を確立した日本画家・村上華岳(むらかみかがく)(1888~1939)の展覧会が、東京の山種美術館で開催中である。2014年に山種美術館《裸婦図》(1920(大正9)年)が、《日高河清姫図》(1919(大正8)年、東京国立近代美術館)(※出品無し)に続き、華岳作品として2件目の重要文化財に指定されたことを記念するものだ。《裸婦図》を華岳芸術の一つの到達点と位置づけ、初期から晩年にわたる彼の代表的な19作品、そして華岳の師や共に研鑽を積んだ友人ら京都画壇の画家たちの珍しい名作や美人画も合わせて全体で74作品(会期中、一部展示替えあり)を展観し、華岳の画業とその背景を紹介する。厚みをもち新奇性にも富む好企画だ。

  ■展覧会構成
  本展の構成は以下の三つの章からなる。第1章 先人と学友―京都画壇の画家たち/第2章 村上華岳―《裸婦図》への道/第3章 京都画壇の女性表現―《裸婦図》の前後。

  ■村上華岳《裸婦図》(重要文化財):一つの到達点
  第2会場の村上華岳筆《裸婦図》(重要文化財)は、闇の中から浮かび上がるようで印象的な展示だ。縦163.6×横109.1cmの大きな画面全体を薄い茶系の色彩が覆う。中央に薄物をまとった女性が身体を正面に、顔を向かって斜め左に向け、石段のような場所に腰をかけ、右手に持った小さな花を掲げている。周りの岩山や草叢は線描きで表され、左奥の青空が開放感を与える。女性像は風貌や両手のしぐさ、瓔珞や腕釧の装身具、脇に置かれた蓮の花からも観音像やインドの神仏像を思わせる。神秘的で崇高であり、同時に女性らしさや優しさに溢れる。美の化身がふわっと眼前に舞い降りた姿のようにも見える。

  本作は華岳32歳の年に描いた代表作。彼が1920年に語った言葉に、「…人間永遠の憧憬の源であり理想の典型である「久遠の女性」の一部として「裸婦図」を描いた時」「…あらゆる諸徳を具えた調和の美しさを描こうとした」(出典:『画論』弘文堂書房、1941年2月)とある。本展では、本作の隣にほぼ同寸の《裸婦図(下図)》(1920(大正9)年、京都市立芸術大学芸術資料館)が並んで置かれる。2点が揃うのは16年ぶりとのこと。比較すると興味深い。例えば下図には女性の足元に大きな鳥が描かれているが本画には無い。華岳は最初、スパルタ王チュンダレオスの妻レダと白鳥に扮したゼウスのギリシャ神話「レダと白鳥」を意識したのではないか、ともいわれる。ルネサンス期によく描かれた画題だ。《裸婦図》にはインド・アジャンター石窟壁画の菩薩像、また観自在菩薩の影響に加え、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)の《モナ・リザ》との関係も指摘される。本作を完成後、華岳は現実の女性を描くことはなかったという。目的に向かい日本の古典も東洋美術も西洋画もあらゆる勉強の成果を取り入れ挑戦した本作は、画家にとって大きな達成だったのだろう。

  ■華岳の初期から晩年の代表作:画業の変遷を追う
  《驢馬に夏草》(1908(明治41)年、さいたま市立漫画会館)は第2回文展(文部省美術展覧会)で初入選し3等賞を受賞した画壇デビュー作。京都市立美術工芸学校(美工)の修学旅行で訪れた満州での風景をもとに3頭の驢馬を上部に大きく配し、下部に夏草を繊細に描いた情感溢れる作品だ。《二月乃頃》(1911(明治44)年、京都市立芸術大学芸術資料館、11/25~展示)は、京都市立絵画専門学校(絵専)に進んだ華岳が卒業制作として描いた《早春》を改題して出品した第5回文展で、褒状を受けた作品。彼は四季耕作図に学び田園風景を多く描いた。清新な趣を醸す本作は、自然描写と西洋的遠近法の援用が功を奏し、指導教官で京都画壇の重鎮・竹内栖鳳(1864~1942)が絶賛。また、大作の《阿弥陀之図》(1916(大正5)年、京都市美術館、11/25~展示)は、後に最高の仏画作家と称された華岳にとっての最初の仏画作品だ。第10回文展で特選を受賞。工夫した色調と柔らかい線描により唯美で甘美な浄土世界が広がる。

  その後、華岳は文展の落選を経て、文展の審査基準に疑問を抱く絵専時代の同期生と共に1918年(大正7)年、国画創作協会を結成し、自由な創作を目指した。国画創作協会展では《聖者の死》(1918(大正7))(焼失)、《日高河清姫図》、《裸婦図》など代表作となる作品を次々と発表。仲間の多くは1921年に渡欧したが、華岳は喘息の病気悪化のため果たせなかった。療養のため京都から芦屋に転居し、1927(昭和2)年には育った神戸の花隈に戻り、晩年は画壇からも離れて病気と闘いながら制作を続けた。《青楓谿澗》(1933(昭和8)年、山種美術館)は数百点描いたという山水画の一作。画面全体を埋める夏の楓林風景の涼感に画家の思いが重層するようだ。《墨牡丹之図》(1930(昭和5)年、京都国立近代美術館、~11/23まで展示)は水墨画の作品。墨の濃淡と滲みを活かし、金属泥も用いて描かれた牡丹の独特の存在感に圧倒される。華岳の絶筆は水墨の牡丹だったという。自身の思索や心情を対象と同化させているような晩年の作品。その静謐でひたむきな強い訴えに心を打たれる。

  1888(明治21)年に大阪で生まれた村上華岳の本名は武田震一。小学校入学時から叔母の嫁ぎ先の神戸の村上家に寄居し、後に養子となった。51年の生涯における彼の画業は大きく3期に分けられるだろう。初期は、京都の美工や絵専の師から学んだ円山四条派や古典の成果を自分なりに昇華していった。大正期の国画創作画協会の活動時には、南画や雑誌『白樺』で紹介された西洋画も積極的に取り入れ、艶やかさと崇高さを合致させることに挑んだ。そして晩年には水墨画や山水画など香気のある内省的な作品をつくりあげた。会場でその変遷を辿りながら、求道的な精神が一貫して在ることも感じた。

  ■京都画壇の画家たち:魅力的な作品群
  本展の第1章と第3章では、京都で誕生した華岳の周辺の画家の傑作がめくるめく展開し、高揚感をもたらす。京都では1880(明治13)年に日本初の公立美術学校である京都府画学校が設立された。初代摂理(校長)となった田能村直入(1814~1907)による《百花》(1869(明治2)年、山種美術館)は、濃彩による四季の花卉100種の豪華な図巻。同校は京都市美術工芸学校(美工)となり、1903(明治36)年には華岳が入学。教授陣は京都画壇の重鎮たちだった。その筆頭の竹内栖鳳による《班猫》(重要文化財)(1924(大正13)年、山種美術館)は観者の目と心をとらえて離さない。動物画というより肖像画ではないだろうか。なお、栖鳳《班猫》と華岳《裸婦図》は2011年、山種美術館45周年の際に行った「私の選ぶ山種コレクションベスト3」でも全体のベスト3に入るなど、同館で大変人気の高い作品である。そして同じく美工教授の山元春挙(1871~1933)の雄大で写実的な《火口の水》(1925(大正14)年、山種美術館)や菊池芳文(1862~1918)による華やかで見事な《桜花群鴉図》(1868~1912年頃(明治時代)、京都国立近代美術館、~11/23まで展示)。また栖鳳とともに幸野楳嶺(1844~95)の弟子であった都路華香(1870~1931)による南画風の《萬相亭》(1921(大正10)年、山種美術館)や黒い帆が並ぶ《帆舟》(1912~26年頃(大正時代)、山種美術館)には独特の興趣がある。

  栖鳳らは1909(明治42)年に新たに京都市立絵画専門学校(絵専)を設立させ、華岳も入学した。国画創作協会は、華岳と絵専時代の同期生たちが結成したものだった。自由な創作を目指した仲間である入江波光(1887~1948)、榊原紫峰(1887~1971)、土田麦僊(1887~1936)、小野竹喬(1889~1979)の個性的な作品も並ぶ。竹喬の《南国》(1911(明治44)年、京都市立芸術大学芸術資料館、~11/23まで展示)や《郷土風景》(1917(大正6)年、京都国立近代美術館、11/25~展示)は海辺にある故郷の風景を描き、鮮やかで明るい色彩が印象的だ。西洋画の影響が指摘される。華岳は竹喬の風景画を絶賛していた。

  そして、注目すべき女性表現の作品が続く。真善美の極致を目指し、たおやかで品格ある美人画を描いた上村松園(1875~1949)、舞妓を多く描いた土田麦僊、労働する女性を明るく描いた福田平八郎(1892~1974)の作品も展示される。新境地の美人画を描いた岡本神草(1894~1933)や怪異で妖艶な甲斐庄楠音(1894~1978)は国画創作協会に出品した画家だがその代表作も見られる。

  多彩な京都画壇のその歩みを踏まえ、華岳の《裸婦図》と彼の作品をどう見るか。
  後期にも魅力溢れる作品が勢揃いするようなので、展覧会は前期と後期とも、両方楽しみたい。なお山種美術館は来年開館50周年を迎える。2016年は大規模な速水御舟展を初め、多くの記念展を予定している。引き続き目が離せない美術館である。


【参考文献】
1)山下裕二 監修、 山種美術館学芸部 編集、髙橋美奈子・三戸信惠・南雲有紀栄 執筆:『特別展 《裸婦図》重要文化財指定記念 村上華岳 ― 京都画壇の画家たち』(図録)、山種美術館、2015年。
2)山下裕二 監修、山種美術館学芸部 編集、山下裕二・山﨑妙子・髙橋美奈子・三戸信惠・櫛淵豊子 執筆:『山種美術館創立45周年特別展 ザ・ベスト・オブ・山種コレクション』、山種美術館、2011年。
3)島田康寛:『村上華岳』(新潮日本美術文庫39)、新潮社、1997年。
4)村上華岳:『畫論』(新装版)、中央公論美術出版、1977年。

執筆:細川いづみ (HOSOKAWA Fonte Idumi) 
(2015年11月)


※会場内の風景画像は主催者側の許可を得て、プレス内覧会にて撮影したものです。


写真1 会場風景。村上華岳《裸婦図》(重要文化財)、1920(大正9)年、山種美術館。
(撮影:I.HOSOKAWA)


写真2 会場風景。村上華岳《驢馬に夏草》、1908(明治41)年、さいたま市立漫画会館。
(撮影:I.HOSOKAWA)


写真3 会場風景。竹内栖鳳《班猫》(重要文化財)、1924(大正13)年、山種美術館。
(撮影:I.HOSOKAWA)


写真4 会場風景。土田麦僊《髪》、1911(明治44)年、京都市立芸術大学芸術資料館(~11/23まで展示)。
(撮影:I.HOSOKAWA)


写真5 会場風景。左から、上村松園《蛍》、1913(大正2)年、山種美術館。
甲斐庄楠音《春宵(花びら)》、1921(大正10)年頃、京都国立近代美術館(~11/23まで展示)。
丸岡比呂史《路次の細道》、1916(大正5)年、京都市立芸術大学芸術資料館(~11/23まで展示)。
(撮影:I.HOSOKAWA)

【展覧会英語表記】
Special Exhibiton: Featuring Nude by Murakami Kagaku, Newly Designated as an Important Cultural Property
Murakami Kagaku and Kyoto Artists

【会期・会場】
2015年10 月31日~12月23日  山種美術館
(前期:10月31日~11月23日/後期:11月25日~12月23日)
<電話> 03-5777-8600(ハローダイヤル) 
【展覧会詳細】http://www.yamatane-museum.jp/

※本文・図版とも無断引用・無断転載を禁じます。


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