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生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村

若冲と蕪村を対比しながら観る面白さ

   ■迫力とユーモア
   サントリー美術館の会場を廻り、迫力に驚嘆し、ユーモアに和み、楽しさに時の経つのを忘れた。江戸時代中期の18世紀、京都画壇を代表する伊藤若冲(1716~1800、享年85)と与謝蕪村(1716~83、享年68)の大規模な二人展だ。花鳥、または山水や人物を描いた傑作と共に、京都画壇の様相を示す作品や、影響を与えた中国や朝鮮の絵画も展観。同い年の絵師の異なる個性を、同時代の空気とともにとらえた、奥行きの深い展覧会である。

   若冲と蕪村が誕生したのは、1716年(正徳6年/享保元年)。京都で元禄時代の町人文化を率いた尾形光琳(1658~1716)が亡くなり、江戸では徳川吉宗が八代将軍となった年だ。本展覧会は、若冲と蕪村の生誕300年を記念するもので、辻 惟雄MIHO MUSEUM館長の監修により3年をかけて準備を進め、開催に至ったという。辻先生は、「有意義な展覧会を開くことができて嬉しい。若冲と蕪村の同時代性が感じられます。なかなかユーモアの精神に富んでいて面白い」と、開幕時の記者会見で話された。サントリー美術館と滋賀県のMIHO MUSEUMを巡回。220点余の名作が出品され(※出品数は会場により違いあり)、20点余が初公開だ。(※作品ごとに展示期間が決められていますので、ご注意ください。)

   ■若冲と蕪村:関係の不思議
   若冲は、京都高倉錦小路の青物問屋「桝屋」の長男に生れ、23歳で家業を継いだ。30代中頃に禅を修学し「若冲居士」の号を得た。40歳で隠居し、画業に専念する。生涯独身だった。宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の《動植綵絵》三十幅(宝暦7年(1757)頃~明和3年(1766)頃)(※本展の出品は無し)を初めとする、色彩鮮やかで独特の境地をもつ花鳥画を得意とし、動物など描いた水墨画や版画にも優れた作品を残した。

   一方、蕪村は、摂津国毛馬村(現在の大阪市都島区)の農家に生れ、20歳頃に江戸に出て俳諧を学んだ。師 早野巴人(宗阿)の死を機に、27歳から浄土宗の僧侶として北関東や東北を約10年遊歴。その後京都に上るが、丹後に3年滞在し、42歳頃から京都に定住した。還俗して結婚。俳諧と絵画の両分野で活躍した。絵画は、中国の文人画から学んだ技法での山水画や、軽妙な俳画を得意とした。俳諧では55歳で師 宗阿の夜半亭を継承。

   40代以降の若冲と蕪村は、京都で歩いて10分位の場所に住んでいた。何らかの交流を想像したくなるが、蕪村の残した約500通の手紙にもその他も交流の記録はないという。不思議である。また、筆者はこの両者に全く異質のイメージを持っていたが、まず足速に展覧会全体を観たところ、どちらが描いたのかすぐにわからない作品がいくつもあった。先入観を打ち破る発見だった。

   ■展覧会の構成
   以下の七つの章から構成される。年代を追って若冲と蕪村を対比しながら、その画業を立体的に観られるように工夫がされている。 第1章 18世紀の京都ルネッサンス/第2章 出発と修業の時代/第3章 画風の確立/第4章 新たな挑戦/第5章 中国・朝鮮絵画からの影響/第6章 隣り合う若冲と蕪村―交差する交友関係/第7章 翁の時代。

   ■18世紀の京都画壇の様相/背景
   ところで若冲と蕪村はどのような環境で活動していたのだろう。本展は、最初に我々を18世紀の京都に連れていってくれる。例えば、朱塗の《諸家寄合膳》(江戸時代、18~19世紀、個人蔵)。20枚で一揃いの28cm角の膳だが、様々な絵師が墨で絵を描き、壮観だ。池大雅(1723~76)の「梅図」、円山応挙(1733~95)が栗の実と枝を描いた「折枝図」、与謝蕪村の筆になる二人の人物と賛の「翁自画賛」、そして伊藤若冲の「雀鳴子図」が並ぶ。曽我蕭白(1730~81)、岸駒(1749(56)~1838)や長沢芦雪(1754~99)も膳に絵付けをしている。また、京都の重要人物をラインアップした《『平安人物志』明和版》(江戸時代、明和5年(1768))と《同 安永版》(江戸時代、安永4年(1775))(ともに京都府立総合図書館蔵)も展示され、筆頭に応挙、若冲、大雅、蕪村の名前が載っている。

   このように京都では才能あふれる天才絵師たちが次々と現れ、エネルギッシュに活動していた。大雅や蕪村は日本の文人画(南宗画)を大成し、応挙は写生を重んじた明快で写実主義風を完成させ、また若冲や芦雪や蕭白らは独特の奇想を展開していった。若冲と蕪村の生年である1716年に江戸幕府将軍となった徳川吉宗の政策も、結果的に18世紀の日本美術に新しい潮流をもたらした。洋書の輸入緩和や黄檗宗を取り入れることを行い、日本に新しい文物や中国の最新画譜類が流入したのである。

   ■若冲筆《象と鯨図屏風》と蕪村筆《山水図屏風》
   東京会場の吹き抜けホールは、若冲筆《象と鯨図屏風》(江戸時代、寛政9年(1797)、MIHO MUSEUM蔵)と蕪村筆《山水図屏風》(江戸時代、天明2年(1782)、MIHO MUSEUM蔵)の六曲一双の巨大な屏風が並び、圧巻である。若冲の《象と鯨図屏風》は「米斗翁八十二歳画」の署名がある。右隻に白象が水辺にどっかり座り、鼻を丸め、太い牙を上げて空を仰ぐ。眼は笑っているようだ。左隻には大海の波間に半身をみせた黒い鯨が潮を吹く。白と黒の巨体が対峙したダイナミックでおおらかな世界だ。蕪村の《山水図屏風》は銀地の屏風だ。署名は晩年に使った「謝寅」で、没年の前年の制作。卓越した構成力で、自然の雄大さと、のどかな生活が同居する世界を墨で描き、両隻に賛が入る。観ているうちに自分も屏風に入り込み、藁葺の家で談笑したり、舟を漕いだりする人々と一緒にいるような気分にもなる。この2作品により、若冲と蕪村の最晩年の活力に驚嘆させられた。
   出品作はどれも魅力的であるが、以下、一部を紹介したい。

   ■若冲の作品:花鳥画を中心に、新技法も生み出す
   ●彩色画 若冲は最初、狩野派に学ぶが、その後は相国寺などが所蔵する中国や朝鮮の絵画を学んだ。生涯描き続けた鶏は実際に飼って観察・写生したという。彩色豊かな《雪中雄鶏図》(江戸時代、18世紀、京都・細見美術館蔵)や《花卉双鶏図》(江戸時代、18世紀、個人蔵)の鶏は写実的で颯爽としている。《白梅錦鶏図》(江戸時代、18世紀、MIHO MUSEUM蔵)は華麗だ。《月夜白梅図》(江戸時代、18世紀、個人蔵)は香りが漂うようだ。恐しさも伴う。また、《猿猴摘桃図》(江戸時代、18世紀、個人蔵)は、若冲と交友のあった黄檗宗僧の伯珣照浩の賛を、なんと画の中央に配す。幾何学的な構成が面白い。

   ●水墨画 水墨画も卓抜である。《果蔬涅槃図》(江戸時代、18世紀、京都国立博物館蔵)は、釈迦に見立てた二俣大根の死を、あらゆる野菜たちが取り囲んで悲しむ様子が描かれている。一方、軽妙で躍るような筆使いの寒山拾得図や動物たちは愛敬がある。《雨龍図》(江戸時代、18世紀、個人蔵)の龍の表情には思わず笑ってしまうが、鱗は若冲が得意とした筋目描で巧みに表現されている。これは吸水性の強い画箋紙を使った高度な技法で、菊の花弁などにも使用した。墨画淡彩の《白象群獣図》(江戸時代、18世紀、個人蔵)は桝目描の作品である。これも若冲独特の技法だ。この白象は、《象と鯨図屏風》に似たポーズだが、こちらでは鼻の上に栗鼠がのっている。また、《石峰寺図》(江戸時代、寛政3年(1791)、京都国立博物館蔵)は、単純化された形態で描く。若冲は最晩年、京都・深草にあるこの石峰寺門前に住んで寺裏に五百羅漢の石仏を制作した。

   ●拓版画など 江戸で錦絵が流行した頃、若冲は版画にも独自の方法で挑んだ。拓本を取るようにつくる「拓版画」で、白黒が反転するものだ。淀川風景を描いた《『乗興舟』》(江戸時代、明和4年(1767)、個人蔵)は味わいがあり、虫に食われた植物と昆虫を配した《『玄圃瑤華』》(江戸時代、明和5年(1768)、個人蔵)はシャープな印象を受ける。また、黒地にカラフルな異国の鳥を描いた六枚の《花鳥版画》(江戸時代、明和8年(1771)、東京・平木浮世絵財団)は複雑な技法によるもの。見事としかいいようがない。

   ■蕪村の作品:絵画の分野を広げながら、到達へ
   ●山水画、人物画へ 蕪村は、絵画を独学したといわれる。京都定住後に描いた《維摩・龍・虎図》(江戸時代、宝暦10年(1760)、滋賀・五村別院蔵)は朝鮮絵画に学んだことがみえ、飛び出さんばかりの《猛虎飛瀑図》(江戸時代、明和4年(1767)、個人蔵)は、中国人画家の沈銓(沈南蘋)(1682~1760)を研究した成果とされる。沈銓は1731年に来日し、日本の江戸時代の花鳥画に多くの影響を与えた。蕪村は、山水や人物にも画題を広げていく。俳諧仲間が蕪村を応援し、出資して屏風講を結成した。屏風講のために制作した作品は高価な画材を使用することができたという。濃彩で中国の故事人物を描いた《明師言行図屏風》(江戸時代、明和7年(1770)、広島・海の見える杜美術館蔵)には豊かな世界が創出されている。

   ●俳画や図巻 蕪村は、俳画という蕪村ならではの新しい絵画も開拓した。発句と軽快な筆による絵が響き合うもので、心楽しい。《「学問は」自画賛》(江戸時代、18世紀、個人蔵)は、居眠りをする男の顔が何とも気持ちよさそうである。また、芭蕉に画題をとった[重要文化財]《奥の細道図巻》(江戸時代、安永7年(1778)、京都国立博物館蔵)は文章と絵からなる絵巻で、ほのぼのとした味わいとともに芭蕉への深い尊敬の念が溢れる。

   ●詩的絵画世界 [重要文化財]《鳶・鴉図》(江戸時代、18世紀、京都・北村美術館蔵)は嵐の中の鳶と、雪の降る中の庭の鴉が向き合う双幅で、人の心を強くとらえる。神聖なものを感じる。見入ってしまった。 [重要文化財]《竹林茅屋・柳蔭騎路図屏風》(江戸時代、18世紀、個人蔵)は、中国の漢詩に想を得た緑の美しい山水風景だが、日本的な郷愁をさそう。そして、[国宝]《夜色楼台図》(江戸時代、18世紀、個人蔵)は穏やかな雪景色を描く横長の傑作である。雪降りつむ家々の窓に暖かい灯がともる。芳賀徹先生が「雪の降る夜の安息と幸福の感覚を描いてこれほど深く親密な絵が、これ以前にも以後にも日本に他にありえただろうか。」と、著書『與謝蕪村の小さな世界』に書いておられる作品だ (出典:芳賀徹『與謝蕪村の小さな世界』18頁、中央公論社、1988年)。 

   ■影響を与えた長崎派や中国・朝鮮絵画
   本展第5章も特筆できる。若冲や蕪村が影響を受けた長崎派や中国や朝鮮の絵画が展示され、興味深い。伝 李公麟筆《猛虎図》(朝鮮中期、16世紀後半、京都・正伝寺蔵)は、宋元時代の古画と伝えられ、若冲はそう思って模写を制作した。また、先述の沈銓(沈南蘋)が描いた《柘榴群禽図》(清時代、乾隆14年(1749)、個人蔵)も出品されている。濃彩の華麗な作品で陰影が強調されている。

   影響関係が見て取れるように隣同士に並べた絵画もある。可愛らしい子犬を描いた、李巌筆《花下遊狗図》(朝鮮、16世紀、東京・日本民藝館蔵)と、与謝蕪村筆《子犬図襖》(江戸時代、18世紀、個人蔵)。佇み舞う鶴が優雅な文正筆[重要文化財]《鳴鶴図》(元~明時代、14世紀、京都・相国寺蔵)と、伊藤若冲筆《白鶴図》(江戸時代、18世紀、個人蔵)。そして、沈南蘋の画風を京都に伝えた長崎派の鶴亭(1722~85)が描いた《蘭石図》(江戸時代、18世紀、個人蔵)と、伊藤若冲筆《蘭石図》(江戸時代、18世紀、個人蔵)などである。強い影響が一目瞭然である。筆者は、2008~09年に静岡県立美術館など4館を巡回した「朝鮮王朝の絵画と日本―宗達、大雅、若冲も学んだ隣国の美」展で、若冲と朝鮮美術との結びつきを知ったのだが、本展は絵師たちの学んだ絵画についてさらに広く明確な教示を与えてくれた。

   若冲と蕪村に正面から取り組んだ本展覧会は、見応えがあり、楽しめる。是非多くの方々にご覧いただきたく思います。貴重な論考を掲載した展覧会図録もお薦めしたく思います。


【参考文献】
1) 辻 惟雄 監修、サントリー美術館・MIHO MUSEUM編集:『生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村』(展覧会図録)、読売新聞社 発行、2015年。
2) 辻 惟雄:『奇想の系譜 又兵衛―国芳』、美術出版社、1970年/筑摩書房(ちくま学芸文庫)、2004年。
3) 芳賀 徹:『與謝蕪村の小さな世界』、中央公論社、1986年/中央公論社(中公文庫)、1988年。

執筆:HOSOKAWA Fonte Idumi 
(2015年4月)

※会場内の風景画像は主催者側の許可を得て撮影したものです。
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写真1 東京の会場風景(前期4月13日までの出品作品)。
右から、伊藤若冲筆≪果蔬涅槃図≫江戸時代、18世紀、京都国立博物館蔵。
与謝蕪村筆[重要文化財] ≪鳶・鴉図≫江戸時代、18世紀、京都・北村美術館蔵。
与謝蕪村筆≪蜀桟道図≫江戸時代、安永7年(1778)、LING SHENG PTE.LTD。
(撮影:I.HOSOKAWA)

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写真2 東京の会場風景(前期4月13日までの出品作品)。
右から、伊藤若冲筆≪雪中雄鶏図≫江戸時代、18世紀、京都・細見美術館蔵。
伊藤若冲筆≪紫陽花白鶏図≫江戸時代、18世紀、個人蔵。
伊藤若冲筆≪糸瓜群虫図≫江戸時代、18世紀、京都・細見美術館蔵。
(撮影:I.HOSOKAWA)

【展覧会英語名】Celebrating Two Contemporary Geniuses: Jakuchu and Buson
【会期・会場】
2015年3月18日~5月10日 サントリー美術館
<電話> 03-3479-8600 
<詳細> http://suntory.jp/SMA/
2015年7月4日~8月30日 MIHO MUSEUM
<電話> 0748-82-3411
<詳細> http://miho.jp/


※本文・図版とも無断引用を禁じます。


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