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若林奮 飛葉と振動 @うらわ美術館

  名古屋、足利、葉山、府中と全国を巡回してきた「若林奮 飛葉と振動」展が、最終会場のうらわ美術館で開催されている。
  若林の「庭」に着目した本展では、基本となる作品に加え、各館の特色を生かした展示が注目されてきた。今回のうらわ美術館は「本」。若林の私家版の冊子、装幀や挿画を手がけた本とその原画、娘たちのために作った絵本、新聞連載の原画など約100タイトルが一室に集められ、別立てで「若林奮展」を開催しても良いと思えるほどの魅力的な内容だ。うらわは収集方針に「本とアート」を掲げていることもあり、その成果を示したといえる。

  ・『水分の移動』の新たな発見

  また、各館を巡回してきた基本展示の中でも、新たに注目された本がある。
  それは鈴木志郎康の詩集『水分の移動』(思潮社)。1981年に刊行されたこの本は、若林が装幀・挿画を手掛け、地形や土地に関心を示し、庭のイメージにつながる作品として出品されている。
  5月14日に行われた若林の次女、夏欧のギャラリートーク「父からの贈りもの」でこの表紙画に関する新たな発見について話があった。展覧会の準備中にうらわ美術館の若林展担当学芸員山田志麻子が若林家に調査に訪れた際に、この本から、夏欧宛ての若林の手紙が見つかり、さらに姉の砂絵子宛ての本には同様のことが直接本に書かれていたという。そこには1981年の8月に、砂絵子の土器を作る実験のために3人で東京・武蔵小金井の若林家に近い野川公園まで粘土を取りに行った日のことが記されていた。とても暑い日で、途中から夏欧が疲れたのでおんぶして大沢の方まで歩いてジュースを買って飲み、そこからバスに乗って試験場まで行き、ようやく家に戻った。この日のことを、この本の表紙や中の絵に描いたという内容。当時3歳の夏欧の手紙は平仮名でやさしい文章で、9歳の砂絵子には漢字交じりで、歩いた場所や作品点数などが詳しく記してあったという。
  また、この日の出来事に関しては、2012年に刊行された『ISAMU WAKABAYASHI bibliography』(東京パブリッシングハウス)の付録「14の胡桃の葉」の中の若林夏欧「水分の移動」にも書かれていて、そのコピーが配られた。そこにはがんセンターに入院していた若林に外出許可が出た日のこととして、「『新橋から築地まで歩こう。夏欧さんと話したいから』と父が提案してくれた。銀座あたりを歩きながら、父がポツリと言った。『砂絵子と夏欧と野川公園に土器用の粘土を掘りに行ったことがある。粘土を採取してバスで帰る時、一つ前のバス停で降りてしまい、停留所ひとつ分歩く事になった。しばらくして夏欧が「抱っこ、ジュース」と言い出して、おんぶをする事にした。けれども粘土も持っていたし本当は重くて嫌だった』と今更言われた。『まさに水分の移動。つまり人間はほとんど水でできていると思った。あの重さは忘れない』」とある。
  表紙の絵はこの日に歩いたルートの地図だということがわかった。トーク参加者は、夏欧による描かれている場所や道順の説明に聞き入っていた。

  吉増剛造の『詩集 頭脳の塔』を内蔵した「LIVRE OBJETⅡ」(1971年)、自身のカタログを硫黄でコーティングした『SULPHUR DRAWING』(1983年)、ノートに木の葉の1枚1枚を写しとった『LEAVES』、犬のスタンプを押した豆本など、さまざまな形態の本が展示されたうらわオリジナルの本の展示コーナーの中でも、若林が娘の砂絵子と夏欧のために制作した絵本は若林のプライベートな側面を知ることができ、興味深い。
  実話を元に描かれた『1980.9.21夏欧負傷し救急車に乗る!!!』、家族で見た映画が題材の『かおうとねこ スーパーカオ― スーパーネコ』(1980)年など、色鉛筆やボールペンで描かれた絵本のうち、7タイトルを1ページずつ撮影したスライドをトーク後半で上映した。これらの本は普段はあまり会話をしない若林が誕生日になると「夏欧さんへ」と書いて机の上に置いてくれていたのだという。
  また、遺跡発掘の様子を描いた『[表紙―花]』にある図像は、岡田隆彦著『瞳で泳ぐ』(思潮社、1980年)の原画案にも類似した像があり、プライベートな作品にも若林の思索の跡が込められていることがわかる。

・吉増剛造と鍵岡正謹のトークで

  4月30日には、詩人の吉増剛造と岡山県立美術館顧問の鍵岡正謹によるイブニング・トーク「若林さんと本」が開かれた。吉増関連の本にまつわる作品は前述の「LIVRE OBJETⅡ」や若林とコラボレーションした雑誌「武蔵野美術」(武蔵野美術大学出版部)が、鍵岡の方は若林が挿画を手掛けた詩集『鉛島』が出品されている。
  トークでは最初に、雑誌「三彩」の編集長だった吉増の面接を受けて、鍵岡が入社したエピソードや、雑誌の企画で若林のインタビューを行った経緯などが話された。また、吉増は「LIVRE OBJET」について、「若林さんは地下深く堀り進んで、手業でたどっていかないとその本にまでたどりつかないような本を作った」と表現。吉増は、本展で紹介されている東京・日の出町の庭「緑の森の一角獣座」の命名者でもある。その経緯として、当時、高知県立美術館の館長だった鍵岡が現地を訪れており、また、同美術館で若林奮展開催の際に若林から、作品のタイトルを吉増に頼みたいがどう思うかと相談され、賛成し、吉増に電話したこと。吉増は高知の阪急ホテルで作品名を考え、「一角獣というのは若林さんの初期の作品で『残り元素』という彫刻があるが、ああした地下から角が突き出してくるような強烈な印象からまず、一角獣というのが出てきて、『座』というのは宇宙的な星座の座だから、CONSTELLATIONと英訳したのを覚えている。それに緑の森がくっついた。若林さんは町田の人で、僕は秋川だから地形の感じは何となくわかり、わりとスーッと(作品名が)ついた。僕もその場所に参加したし、窪地であることは大きかった」と命名の背景を語った。
  また、トーク後半で鍵岡は、「若林から渡された本の話から『庭』も一冊の本なのかと思ったことがある」と述べた。その話からも若林の「庭」を柱としたこの巡回展を通して、「庭」というテーマが若林の重要な核を示していることを改めて感じた。

執筆:西澤美子(文中・敬称略)

若林奮 飛葉と振動
4月23日(土)~6月19日(日)※月曜休館
うらわ美術館(埼玉県さいたま市浦和区仲町2-5-1浦和センチュリーシティ3階)
☎048-827-3215
10時~17時、土・日曜日のみ~20時(入館は閉館30分前まで)
一般610円、大高生410円、中小生200円
詳細:http://www.city.saitama.jp/urawa-art-museum/

写真キャプション
① 本の展示室
② 『水分の移動』表紙と原画
③ 『水分の移動』の表紙の絵がデザインされたトートバックを掲げ、解説する若林夏欧
④ 『かおうとねこ KAO & CAT』1981年
⑤ ノートに葉を写し取った『LEAVES』のシリーズ
⑥ 『[表紙―花]』1978年
⑦ 岡田隆彦著『瞳で泳ぐ』(思潮社、1980年)の原画案
⑧ 吉増剛造(左)と鍵岡正謹
⑨ 「LIVRE OBJETⅡ」1971年(奥)、『6 PEBBLES』1980年(手前)
⑩ 鍵岡正謹『鉛島』(書肆山田)、1993年

【若林奮略歴】1936年1月東京・町田市生まれ。東京芸術大学彫刻科卒業。73年文化庁在外研修員として渡仏(74年まで)。70年代後半から自分と対象物との空間と時間を把握する「振動尺」の連作を発表。自然の観察に基づく思索的な作品で知られる。80年、86年ヴェネチア・ビエンナーレに出品。73年、神奈川県立近代美術館、87年、東京と京都の国立近代美術館で個展、95年東京国立近代美術館で2度目の個展。96年中原悌二郎賞、2003年芸術選奨文部科学大臣賞受賞。武蔵野美術大学、多摩美術大学で教授として後進の育成にも尽力した。2003年10月死去。

参考文献参
『若林奮 飛葉と振動』展図録 名古屋市美術館、足利市立美術館、神奈川県立近代美術館、府中市美術館、うらわ美術館 2015年


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