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若林奮 飛葉と振動 @府中市美術館

  全国5会場を巡回中の「若林奮 飛葉と振動」展。その4会場目となる府中市美術館での展覧会が、若林奮(1936年~2003年、東京生まれ)の誕生日にあたる1月9日から始まった。
  同館は、若林の自宅から直線で約2キロに位置する。JR武蔵小金井駅から府中駅行きのバスが美術館へ向かう際に走る小金井街道の左手だ。筆者は、若林が東京・日の出町の二ツ塚ごみ処分場の建設に反対し、制作した庭≪緑の森の一角獣座≫をめぐり、当時、処分場建設を推進する東京都三多摩地域廃棄物広域処分組合(現・東京たま広域資源循環組合)へ取材に行ったことがある。その事務所のある場所が、同じ府中駅行きのバスの美術館の手前にあるバス停の名称にもなっている「東京自治会館」の中にあった。
  このバスで向かった初日のオープニング・レセプションでは、若林夫人で画家の淀井彩子が、「若林が最初にアトリエを持ったのは実家のある町田だが、その次に、今、住んでいる小金井の前原町に仕事場を持った。その狭い建物の土間で生まれた作品が今回も出ていて初々しい。また、美術館の前庭に恒久展示されている≪地下のデイジー≫は、若林にとっての最後の発注作品。家から歩いて来られる距離の美術館に最後のものがあるということは、嬉しく、近しい気持ちになる」と述べた。
  若林の作品の源ともいえる武蔵野の風景の中に位置する美術館での個展は、他館とは異なり、自らが作品の中に入り込んだかのような気持ちにさせられる。

・美術館前庭の≪地下のデイジー≫
  府中市美術館での特別出品の中には、前述の≪地下のデイジー≫に関連するドローイング37点と、鉄製の大型作品≪DaisyⅣ≫シリーズ(1997年)がある。
  若林作品の主要なコンセプトのひとつで、自らと対象との距離をはかる物差しである「振動尺」が水平方向への視線を伴う作品ならば、デイジーは垂直方向に向かう考え方の作品だ。美術館正面玄関から20mほどの場所に2002年に設置された《地下のデイジー》は、厚さ2.5㎝の鉄板が123枚重なり、上の3枚だけを残して地中に埋められている。鑑賞者に想像する力を促すこの作品は第2案だったことが1月9日に行われた神奈川県立近代美術館の水沢勉館長のギャラリー・トークの中で、設置に携わった元同館学芸係長で、現在は東京都美術館学芸課長の山村仁志により紹介された。それによると当初のプランは、厚さ3.2㎝、高さ1.8m、長さ16mの巨大な鉄板を美術館の前庭を貫いて設置するものだったという。
  公園を歩く人の美術館への視線を遮断することになるうえ、美術館の外構工事の変更や前庭の設計者やデザイナーのプランへの影響などもあり「実現不可能」であると若林に告げ、その後、第2案である地下プランが提出されたという。この大胆な第1案のドローイングも本展で紹介されている。

・≪雨―労働の残念≫武蔵野美術大学から初めて外部へ
  同館の特別出品のもう一つが武蔵野美術大学に所蔵されている1971年の≪雨―労働の残念≫だ。前述のギャラリートークの際に、同展担当学芸員の神山亮子は、「武蔵野美術大学に行くたびに階段を上がったところにあったこの作品が気になっていた。今回、垂直方向への視線による出品作品が少ないので、デイジーを出発点とする時に、同じく垂直性のある作品としてこの作品を出品したいと思い、何とか実現できた。2つに分けることが出来、左側が700kg、右側が100kgあり、美術館の梁に合わせて設置した。作品にはチャックがあり、開けることができたという話もある。中にはドローイングが隠されているのではないかと言われているが、助手の人が、いらなくなったカタログが入っているかもしれないとも話していて、いずれにしても隠されて見えないという若林さんのエッセンスが入った作品だ」と話した。
 武蔵野美術大学から外部に出品されるのは初めて。

・若い世代に受け継がれて
  「次の世代の人にも若林さんの作品を見て欲しい」という美術館の思いから、2月13日には、「私たちが若林さんから受け取ったこと」と題し、ヴァンジ彫刻庭園美術館学芸員の森啓輔、若林のアシスタントをした経験のある彫刻家で武蔵野美術大学教授の袴田京太朗、多摩美術大学で若林から指導を受けた画家の諏訪未知、千葉正也によるラウンド・トーク2が行われた。
  生前の若林には一度も会ったことがないと言いながらも、主に初期の若林作品について研究し、その作品とトーク参加作家の作品への関連を引き出しながら進行した森、若林には「一番影響を受けているのに見た目の印象が違うせいか、誰も気付いてくれない」と言い、若林の作品「中に犬、飛び方」にちなんで近作のタイトルを「毛布ー複製(中に猿)」「粘土ー複製(中に熊)」などとし、接点を見出そうとする袴田、若林が多摩美術大学教授となった1999年から亡くなるまでの「4年間、まるまる教わることができて幸運だった」と話し、「ドローイングのことを薄い彫刻」と言った若林の言葉に影響を受けたという諏訪、1年生の時に、若林を見て「一瞬で、強いインパクトを受け、この先生にはハッタリは通じないと感じて完全にビビった」と言い、以後、作品や人物そのものに憧れるようになった千葉、それぞれの話が若林の仕事が若い世代に確実に受け継がれていることを示した。なお、千葉が、知人の祖父の葬式で配られたという若林作の鉄製の灰皿を持参し、披露した。
  また、1月31日に行われたラウンド・トーク1「若林奮とアーカイヴ ドローイング調査の成果とこれから」では、彫刻家で多摩美術大学教授の小泉俊己が、同大学若林奮研究会の成果としてこれまで5回開催した「若林奮展」でのドローイング調査の実情や作品への考察を語り、慶応義塾大学ア―ト・センター教授でキュレーターの渡部葉子がアーカイヴの現状や方法を述べた。

執筆:西澤美子(文中・敬称略)
 

若林奮 飛葉と振動
1月9日(土)~2月28日(日)※月曜休館
10時~17時
一般700円、大学生・高校生350円、中学生・小学生150円
府中市美術館(東京都府中市浅間町1-3)
☎03-5777-8600(ハローダイヤル)
http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/

【巡回先】
うらわ美術館 4月23日(土)~6月19日(日)

【若林奮略歴】1936年1月東京・町田市生まれ。東京芸術大学彫刻科卒業。73年文化庁芸術家在外研修員として渡仏(74年まで)。70年代後半から自分と対象物との空間と時間を把握する「振動尺」の連作を発表。自然の観察に基づく思索的な作品で知られる。80年、86年ヴェネチア・ビエンナーレに出品。73年、神奈川県立近代美術館、87年、東京と京都の国立近代美術館で個展、95年東京国立近代美術館で2度目の個展。96年中原悌二郎賞、2003年芸術選奨文部科学大臣賞受賞。武蔵野美術大学、多摩美術大学で教授として後進の育成にも尽力した。2003年10月死去。

参考文献
『若林奮 飛葉と振動』展図録 名古屋市美術館、足利市立美術館、神奈川県立近代美術館、府中市美術館、うらわ美術館 2015年
『若林奮 DAISY 1993-1998』図録 多摩美術大学 2007年

写真キャプション
①≪地下のデイジー≫の前でギャラリー・トークを行う神奈川県立近代美術館館長の水沢
②≪ドローイング 2001.10.31≫
③≪地下のデイジー≫のドローイング。第1案(右)
④≪雨―労働の残念≫1971年 武蔵野美術大学 美術館・図書館蔵
⑤袴田(左)と諏訪
⑥灰皿を紹介する千葉


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